2組の母子
もう10年位前の事になりますが、とても衝撃的な体験をしました。
当時私は宇都宮に顧問企業があり、月に数回東京駅から宇都宮まで新幹線で移動していました。ある冬の寒い朝、東京駅から東北新幹線に乗車した私は、いつもの様に窓側の席でホットコーヒーを片手に新聞を広げていました。朝早い時間という事もあり、社内は乗客はまばらでした。
東京駅を発車して暫くすると、上野駅で2組の親子連れが同じ車両に乗ってきました。この親子が、後に車両内を騒然とさせる事件を起こすとは、その時は誰も想像していなかったと思います。
実は、私は自動ドアが開いて最初に視界に捉えてからずっと気になっていました。それは2人のお母さんがどちらもビックリするほど美しかったからですw この2組は私の席から通路を挟んだところで席を向かい合わせにして座りました。子供はどちらも幼稚園児位と思われ、楽しそうに会話を楽しんでます。
早朝の新幹線の利用客はほとんどがビジネスマンです、私と同じ様にダークなスーツを着て新聞を広げているか、ノートパソコンを開いて何か忙しなくキーボードを叩いています。どちらかと言うと皆、他人に無関心で殺伐とした空気である事が多いのですが、この時は母子の会話が少しだけ車内の空気が柔らかくしてくれていました。

あれは富士山では無い
やがて新幹線が大宮駅に近づいた頃、窓の外を眺めていた男の子から「わあ、富士山だあ!」という声が聞こえました。皆さんご存知の通り、冬の寒い日、特に朝は空気が澄んで高い所からは遠くまで見渡す事ができます。この時私は「寒い日も悪い事ばかりじゃないな」と思ったのを覚えています。
事件が起こったのはその直後でした。
「◯◯(男の子の名前)ちゃん、あれは富士山ではなくて浅間山よ」私は口に含んだコーヒーが吹き出さないようにやっとの事で耐えると、思わず通路の向こうのお母さんを”ガン見”してしまいました。
微笑ましい会話をBGMの様に感じて聞き耳を立てていた人は私だけでは無かったらしく、キーボードを打つ手は止まり、私と同じようにそのお母さんに視線を向けた人が5、6人は居ましたw ある人は前の座席からわざわざ後ろを向いて、また他の人は後ろの席から少し背伸びして視線をそのお母さんに送っています。

※土地勘の無い方のために少しだけ説明を加えると、男の子が見たのは紛れもなく富士山です。大宮に向かう新幹線の線路は高架になっており、天気が良ければ東京駅から宇都宮に向かって左手に富士山を望む事ができます。ちなみに浅間山というのは長野県と群馬県の県境にある山で、稜線が美しい活火山です。天気が良ければ大宮駅付近から見える事もあるようですが、上越新幹線あるいは長野新幹線で高崎方面に向かえばよりハッキリ見えます。

冬の浅間山

あれが浅間山である理由
その不穏な空気を察知したお母さんは次に何をしたと思いますか?
自分の子供に(あるいは聞き耳を立てているオジさん達に)、なぜあの山は富士山ではなくて浅間山であるかを解説し出したのです。「私もね、以前新幹線に乗ってキレイな山を見た時に『富士山が見える』ってはしゃいだら、群馬の叔父さんに窘められたのよ『いい大人が恥ずかしい間違いをすんじゃね、あれは浅間山だ』って」「だから、あれは浅間山よ♪」
私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を覚えました。周囲のビジネスマンも何かそわそわした空気を醸し出しています。その理由は私にもわかっていました。彼らはお母さんの誤りを訂正してあげるべきかどうかを悩んでいたのです。
しかし考えてみれば変な事です。いつも他人に無関心であるいい歳したオジさんが、わざわざ知りもしない家族の会話を訂正するってどうなんでしょう?それは勝手に会話に聞き耳を立てていた行為を認める事になるわけで…。私が内なる葛藤に決着をつけ、知らぬ存ぜぬで通そうと覚悟を決めた時、既に車内はいつもの空気に戻っていました。

浅間山事件からの学び
少し冷静になると、私は何に衝撃を覚えたのかを考えるようになりました。そのお母さんに対する驚きではなく、自分自身このお母さんと同じ事をやっている可能性に気付いて茫然とさせられたのです。
その理由は3つあります。
1.無知である怖さ
恐らくは日本人であればほとんどがパッと見ただけで分かる、日本で一番有名な山である富士山を知らないという事実。
もしかしたら常識を知らないために、私自身も恥ずかしい言動があるかも知れないという事実に気付かされました。
2.経験だけで判断する怖さ
お母さんが群馬の叔父さんに窘められたという経験は恐らく事実なのでしょう。しかしこの場合、この体験に基づく判断は誤りでした。
部下から仕事の相談を受けた時、過去の体験から「それはダメ」「こうした方が良い」と即答してきましたが、もしかしたらそれは大きな間違いだったかも知れない。
3.確認の手間を惜しむ怖さ
不穏な空気を察知するくらい聡明なお母さんですから、今の自身の発言がその元凶である事を理解したはずです。だからこそ彼女は言い訳を始めたわけですが、本来彼女がとるべき行動は、事実を確認する事でした。
当時はガラケーでしたが十分にそれに耐えられる性能を持っていましたし、成り行きを注視しているオジさんの誰かに聞いても良いし、何より目の前で真っ赤になって俯いているママ友に確認する手間をなぜ惜しんでしまったのか。
しかし、それを責める資格は私に無いのです。ほんのちょっと調べれば事実を確認できるのにめんどくさがって怠った経験は何度もあるからです。

皆さんはいかがですか?
私は、この経験を通してそれまで以上に自身の言動に責任を持とうと思うようになりました。もちろん完璧とはいかないのですが…。

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